自然に分け入るということ

今回の話は、本来僕のような青二才が語るべきものではないのかもしれないですが。

「お客を連れていけないフィールド」

山や川・海などをいわゆる”フィールド”として活動する人達はたいてい、危なっかしいという理由から、あるいは撹乱防止のため、「自分は行くが、お客を連れていけないフィールド」を持っているんじゃないかな〜と思います。

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ここも、知る人には有名(たぶん)な沢

別に業務としてフィールドでガイドをする人でなくても、年に何回かは知人・友人を連れて自分の”フィールド”を案内する機会があるのではないでしょうか?そういう方々も(あるいはそういう方々こそ)、「ここは人を連れては行けないなぁ」という場所を知っていて、人を連れて案内できるような場所とは少し線を引いて考えているのではないでしょうか。

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有名な登山道の脇の沢だが、人を連れて歩くにはちょっと危ない

案内される側にとっては不満かもしれないけど、そういう感覚は非常に大事だと思うし、これから自然に分け入る人は(僕も含め)、是非そういう感覚を育てていくべきなんだと思います。

自然に分け入ることは、実は“ロハス”とは程遠い

最近、というかここ5-10年くらいか。なるべく人工的なイメージを生活の中から遠ざける、というスタイルがいろんな分野で流行しています。

それはそれで全く悪いことではないのだけれど、そういうスタイルを好むということと、リアルに山に分け入ったりするアクティビティとは全く別モノだということは心得ておく必要があります。

そもそも今の世の中、自然度の高い場所に入ろうとすればするほど、重装備に身を固めるのが普通です。撮影・記録のために高性能な機器を持ち込んだり、雨に降られても蒸れない&冷えないように最新の化繊素材のウェアを着込んだりもします。火を焚いたり水を使ったりするのを極力避けるため、食事は携行食が普通です(人間の生活拠点からほど遠い熱帯雨林に数ヶ月滞在するような猛者はまた別)。最近では、道のついていない、道が塞がってしまっている場所ではGPSを携行する人が多いです。応急手当ての知識と用品はもちろん必携です。

どうでしょ、ちょっと聞いただけでも”ロハス”のイメージからは程遠いのではないでしょうか。

よほど慣れたベテランなら別ですが、基本的に「人の手の入っていない自然」というのは、大げさに言えば現代人にとって「異界」なのです。山登りや沢歩きに興味を持ち始めた方には、是非そのへんの「実際のところ」を正しく認識して、自然との適切な距離感を養っていただきたいと思います。その方が安全・快適だし、過程も含めて楽しめます。

今の時代、山奥に棲む=自然に寄り添う、とは限らない。

また、”ロハスな”生活に憧れるあまり、人里から遠く離れた山奥で本当にそれを実現しようと思えば、そこに新たに生活インフラを整える必要があります。これは基本的にはその場所の自然に膨大な負荷をかけることを意味します。

現代人一人が普段の生活で利用しているインフラをなめちゃいけません。いくら「俺たちゃ街には住めないからに」とか「まだ東京で消耗してるの?」とか言っていても、たいていの現代人は入りたい時に風呂に入れないだけで音を上げてしまいます。

老後に未開の原野を買い取って、そこに一国一城を築いて…なんてライフプランを立ててる(or実行中の)人がたまにいますが、正直賛同しかねます。街で普通に生きる場合と比べて、どんだけ環境に負荷をかけると思てんねん、て話です。「自然に近い暮らし」がしたいなら、「過疎の集落に移住して田舎暮らし」くらいに留めておくのが人間にとっても環境にとってもいいのではないでしょうか。

現代人とは集団で生活し、文明の力によって作られたインフラをある程度利用しないと生きるのが難しい、そんな動物なのです。人間はそういう風に適応してきたし、そういう風に生きることが今の人間にとっての「自然」なんではないかというのが僕の意見です。

キャンプはキャンプ場で、トレイルランは都市から遠くない場所で

同じことはいわゆる「アウトドア」に関しても言えます。

山の中の開けた場所、ということで河原でキャンプをする方々をたまに見かけますが、絶対にやめるべきです。何よりまず、突然の大雨で増水した時に非常に危険です。

そもそも、焚き火をして、BBQやカレーを作って、テントを張って、デッキチェアに寝っ転がって、星を見て…という”いわゆる”キャンプを、自然度の高い場所でやる必要は本当にあるのでしょうか?これらの典型的なキャンプの楽しみの8-9割方は、きちんと水道・トイレの整備されたキャンプ場でも達成できるのではないかと思います。

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残り1-2割の「ついでに、景色もきれいだったらいいな」のために、増水で流されるリスクをしょったり、環境に多大な負荷(川で皿を洗えば水を汚しますし、火を焚けば森林火災のリスクがあります)をかけたりすることはないと思うのです。

もし、光害のない真っ暗な夜空や朝方の山の景色をどうしても楽しみたければ、それをメインと考えて車中泊なり、人のこない駐車場や広場にテントを張るなりすればよいのです。最近は開封して食べるだけのレトルト食品も大変美味しいですから。

トレイルランやモトクロスについても同様のことが言えます。自然をじっくり観察したりするアクティビティでない限り、自然度の高い山奥まで分け入ってする必要は基本的にはないはずです。万が一事故が起きた時にも、大きな病院が近くにある方が圧倒的に安心です。

特にトレイルランは最近急速な勢いで普及している一方、山歩きを趣味とする人々とのトラブルも絶えません。もちろん、私有地でない山を利用する権利は誰にだってあるわけですが、山を歩いたり昆虫・植物を観察するのが好きな人々にとっては、登山道はいわば「美術館」「博物館」のようなもの。彼らにしてみれば、貴重な動植物が多いそんな場所で脇目もふらず走ってほしくはない…というのが本音でしょう。登山道の損傷にもつながります。多少景色がいいコースを走るために、そういう人と利害対立したり、病院が近くにないリスクを背負ってまで走るのか、あるいはもう少し人里近くの場所で妥協するか。いま一度よく考えてほしいものです。

利用の度合いに応じて線引を

だからと言って、自然度の高い場所をすべて完全に保護区にして(部分的に、なら大賛成です)、学術的な調査以外で一切人が立ち入れないようにする…というのも、僕はあまり賛成できません。

何より僕が入れなくなったら困ります(笑)

自然の姿を知る人が社会から少なくなるという状況は、長い目で見れば環境を保全していく上でプラスになるとは思えないのです。先の話に戻りますが、世間一般でいうところの「ロハス」に含まれていないもの、欠けているものは、「自然って、生き物ってこういうモノだ」という視座(しざ)だと思うのです。

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「コイ」は元からいた生物をことごとく捕食・駆逐してしまう、最悪の外来種になりうる

そういう視座を持った人が社会に少ないと、いや現状少ないからこそ、環境保全に関する施策は実効性の薄いものになってしまっているのではないでしょうか。「どうやって」守るのかはおろか、そもそも「何を」守るべきなのか、という対象に関する認識が曖昧なのだからこれは当然の結果です。ですから、自然や生物に興味を持ちはじめた人(子供も大人も)には、段階的にでもいいので自然にアクセスできる方法が用意されているべき、というのが僕の意見です。

また、沖縄は特に、「他の地域がやったらウチも同じように」という施策で地域おこしに取り組む傾向にあるように思います。結果として、地域ごとの魅力や特性をあまり考えずに開発を行ってしまう例が多く見られます。

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やんばるの河川にて。駐車場を造るついでに、川底を掘り返して「子供の水遊び場」を作ってしまった。こんなものは那覇と名護の街中にあればいいのでは…?

たとえば、国頭や大宜味・東村は本気で沖縄の自然の神秘に触れたい人、バーベキューやハイキングなら名護の県民の森で、トレイルランならそれこそ中城あたりにもいい感じの起伏の多い二次林が…という風に住み分けができれば理想的なんだと思います。

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